「ぼくら教師の理想は、
教師がいなくても大丈夫な生徒になってもらうことだよ」
(教育のプロ)
整体の世界にいると、くり返す「勘違い」があります。
それは、
「何としても、自分が治してあげたい」
という気持ちです。
やさしい人ほど、ハマってしまうワナです。
そう……「ワナ」と断言しましょう。
痛い痛い自戒の念をこめて、ね。
お客さんを大切に思うほど、そうなるんです。
「治してあげたい」と。
これはセラピスト側の「症状」で、
「メシア・コンプレックス」という病名まであります。
なぜ、これが、ダメなのか。
1)施術の威力が落ちるから
2)本人の治癒力が落ちるから
3)依存関係になるから
この3つです。
どれも大事だから、ぜひちゃんと知っておきましょう。
逆にいうなら、
セラピストとしての成長を濃く深いものにするコツでもあるし、
お客さんが治るのを早くするコツでもありますからね。
1)施術の威力が落ちるから
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まず、これからね。
どうして「治したい」という気持ちが、
施術の威力を落としてしまうのか。
「力む」からです。
体だけではありません。
心が力んで、「氣」が詰まってしまう。
実はここには、大事な前提があります。
「治す」のは、本人の仕事なんです。
ぼくらが「治す」と思ってしまうのは、
本人の仕事を「取り上げる」ような行為で、
かつ、過干渉です。
過干渉は当然、「抵抗」に合います。
本来、充分な力と自由、誇りをもった個人は、
「操作」されることを嫌がります。
……まあ、そりゃあそうだよね。
体だって、同じです。
そう、「治す」というイメージの裏には、
ぬぐい切れない「操作主義」があるんです。
つまり……
●こちらの力み
●相手の抵抗
●操作主義による氣の汚れ(傲慢)
という3つの障害が生まれるために、
施術の威力が落ちるんです。
2)本人の治癒力が落ちるから
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これも大事ですね。
さっき、
「治す」のは本人の仕事だと言いました。
本人の仕事をぼくらが「替わり」にやってしまったら、
本人がダメになってしまうよね。
宿題を先生が全部やっちゃうようなものです。
それじゃあ「自分ではできない子」になっちゃう。
そう、そんなわけで、
「治す」という意識でやると、
本人の仕事を奪うことになるんです。
それだけならまだしも、
その仕事を通して本人が得るはずだった成長さえ、
ジャマしてしまう。
そうやって、
本人の治癒力が落ちて行くんです。
実際、聞いたこと、ありませんか?
マッサージに通っている人が、どんどん通う頻度を
増やしてしまうケース、本当に多いです。
最初は月1だったのに、それでは物足りなくなって、
月2になって……いつの間にか、週1にまで増える、とかね。
整体でもボキボキ系のカイロでもあるけど、
「やり過ぎ系」の施術を受けると、
そうなるんです。
本人の治癒力が落ちるからね。
そんなの、望まないでしょう?
3)依存関係になるから
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最後は、これです。
「あたい、あんたがいなきゃ、ダメなの!」
ってなるんです。
治したのが本人の力なら、卒業できます。
でも、治したのがあなたなら、卒業できないですよね。
本人は何も成長してないからね。
言い方はヘンだけど、留年し続けるわけです(笑)
「あなたがいないとダメです」ってね、
頼られるうれしさは、あります。
ぼくにだって、正直、それはある。
でも、それに溺れたら、お互い、いいことがありません。
そもそも、お客さんにとってプラスではない。
ただし、あまりに症状がひどかったり、孤独だったりして、
あくまでも《一時的に》、セラピストへの依存が
必要なケースはありますよ。
そうでもしないと心を保てない、というようなね。
ひな鳥みたいな状態まで弱ってる人って、いるから。
でも、それでも、ぼくらは、わかっていないといけない。
「独り立ちできるようにするのが、ぼくらの仕事」だってね。
もっと怖い現実の話も、しておきましょう。
依存関係がひどくなると、どうなるか?
「この先生のところに通い続けたいから、
症状が治りきらないほうが都合がいい」
って、なるんです。
もちろん、そんなこと、直接は言いませんよ?
それどころか、お客さん本人にも、自覚はないことが多い。
でも、深層心理が、そう考えてしまう。
そうしたら、当然、治りません。
治ることを拒否するからね。
だって、治ったりなんかしたら、
先生に会いに行く理由、なくなっちゃうから。
困るんですよ、それじゃあ。
最悪、同じことが、あなたにも起こります。
「この人には自分しかいないんだ!」
ということで自分の価値を確認する、
ゆがんだ充実感に依存すると……
「治してしまったら、自分の価値を証明してくれる
この人が、うちに通って来なくなってしまう……
治ってしまうと、自分が困る……」
って、深層心理が考えたりする。
「共依存」という状態です。
もちろん、これでは、治りません。
親子がお互いにズブズブに依存しあって、
親離れも子離れもできないケース、あるでしょう?
どちらも社会不適合になっていく悲劇なんだけど、
あれと同じです。
……というわけで、
「治す」という意識がいかにリスキーか、
よくわかりましたよね。
さて、じゃあ、どうしたらいいか。
それは、
「治す」のではなく、「治る」と考えることです。
ぼくらが治すんじゃなくて、
本来、自然に「治る」んです。
ぼくらはそれを助けるだけ。
だから、ぼくらは、
「治す人」ではなく、
「治る力を元に戻す人」なんです。
具体的には……
●治すのは「本人の力」だと再確認すること。
●本人の力を高く戻すことが、ぼくらの仕事だと
心にもう一度、言い聞かせること。
お客さんにも、そう伝えていくこと。
●それとあわせて、こちらの「指導力」を高めること。
(指導力=診断力 × セルフケアの提案力)
●施術の時間を30分以内まで縮めること。
(これは本当にオススメ)
●痛みや硬さを、1回で全部ゼロにしようと思わないこと。
(それは間違いの元だと知ること)
こういった方法です。
こんなふうな
「治す」から「治る」へのシフトは、
「ひとつ上のレベルのやさしさ」です。
それがわかったら、
ますますあなたの能力は、上がります。
そして何より、こっちのスタンスのほうが、
よっぽど回復の実績が、よくなるんです。
すごいわかりやすく言うなら、
「ゴリゴリに飢えた感じの人は、モテない」
のと同じね(笑)
欲しいものこそ、追っかけないこと。
よく見て、大切に考えて、向こうから来たくなるようにして、
待つこと。
そう。
ぼくの敬愛する河合隼雄先生もおっしゃってます。
セラピストの最大の仕事は、
「耐えて待つこと」です。
見守ることです。
いろいろやってあげたくなるんですけどね。
そう、最初に言った通り、
この甘い誘惑は、くり返しやってきます。
ぼくだって未だに、間違いそうになる。
でも、そのたび、思い出して下さい。
何が、長い目で見て、本当に相手のためになるか。
そして、自分のためになるか。
長い目で未来を見られない人が、
他人の未来をサポートすることなんて、できないからね。
やさしさを、次のレベルに上げましょう。
見守る力を、上げましょう。
そのためにも、
「見守り甲斐があるほどの変化を種を仕込める、
質の高いセラピー」を身につけましょう。
ではではまた、面白い日々を。
こんなこと言ったら怒られるかもしれないけど、
植物を大切に育てるのに、似てるんですよね……